Who's
腹筋善之介 ?



Who's
竹下宏太郎 ?



Who's
後藤ひろひと ?



Who's
川下大洋 ?



Who's
山内圭哉 ?



Piper?




1997年
 もと遊気舎座長で作家・演出家の[大王]後藤ひろひとと、各劇団に客演しながら[ドナインシタイン博士]として「世紀末学会」を主宰する役者川下大洋が二人だけの組織を結成。名前をPiper とする。
 Piper の名は、川下がとある役所の待合室にあった「ハメルンの笛吹き」の絵本をみて思いついた。また川下の好きな70年代ロックの歌詞にもいくつかこの言葉があった事も大きい。
 一方後藤が川下のこの提案を受け入れた理由は全く違った。プロレスが大好きな後藤は、好きなレスラーにロディ・パイパーとう選手がいたので快諾したのだった。また後藤はもともとアイルランドを中心とするケルト音楽に大きな興味がある。そこで使われる、スコットランドのものとは少し違うバグパイプを演奏する人をやはりPiper という。

 「迷える人々をどこか全く違うところへ連れていってあげよう。そこはこれまで見たこともない、しかしとても高いところにある場所だ。」



1998年4月
 プロデューサーを捜していた二人は、川下がそとばこまち時代に面識のあった吉本興業の田中宏幸に連絡をとった。彼は吉本社内では「宇宙人」と呼ばれているという。頭部に体毛が極端に少ないその風貌とあいまって説得力のある呼び名に思われた。彼はもと明石屋さんま氏のマネージャーで、その後なんば花月・NGKの支配人となり、世界各地から芸人を呼んでくるなどしていたが、今は新しいホールをつくる計画などに当たっているという。多忙の極みではあるが、タレントマネージメント部とはまったく違う部署だけに、畑違いのPiper が身を預けるには格好の人物だった。
 二人は当初、あくまで公演のプロデューサーを捜していただけで所属までするつもりはなかった。しかし田中氏はPiper に吉本に所属しないかともちかけた。これには二人とも悩んだ。これまでいわゆる小劇場界の中で生きてきた後藤と川下にとって「よしもと」はセンメツすべき名前であった。自分たちのはいわゆる「大阪の笑い」とは違うわけだし、もしそう呼ばれるとしても吉本との違いは大きい。だから超メジャーな吉本ブランドは敵でこそあれ決してその中に身を置くような対象ではなかった。その力を利用してこっそり公演のプロデュースだけしてもらおうという腹だったのだ。
 しかし近年、吉本の柔軟さには目を見張るものがある。女子プロレス、ミュージシャンなどむしろお笑いよりも我々に近いジャンルを積極的に取り込もうとしている。新しいところではデーモン小暮氏が吉本入りしていた。この企業としての吉本の姿勢が二人を動かした。それなら吉本から一番遠くにいる後藤と川下が吉本に入ってやろう、これは面白い。ということになったわけだ。
 こうしてPiper は正式に契約を交わして吉本の所属となった。吉本タレント名鑑には、女子プロレスの選手達のあと、一番最後のページを二人の写真が飾ることになった。



2001年4月
 後藤と川下の二人で結成したPiperだったが、3年を経て山内圭哉が加わり、3人になった。山内は中島らも氏とわかぎゑふ氏によるリリパットアーミーに長年所属していた役者。また自らのバンド JIZZ MONKS を率いるギタリスト/ボーカリストでもある。ラジオやテレビでも才能を発揮する、まさにPiperにふさわしい才能の持ち主だ。


2004年4月
 そしてさらに3年がたち、新たに2人のメンバーが加わった。もと惑星ピスタチオ主宰、パワーマイムの創始者で、若手の役者を集めた劇団・IQ5000を率いる腹筋善之介。そしてもと米米クラブのダンサーにして振り付け師、主に映像で役者のキャリアを積む竹下宏太郎だ。これによりPiperは5人になった。とはいえそれぞれのソロ活動を最重視するPiper。5人になって最初の本公演では1人が他の舞台に出演のため、Piperは4人だった。


2008年
 第一回公演から10年が経過。07年の「結成10周年」記念公演に続き、2年連続の10周年記念公演を上演。