5人が出会うまでの Piper

by T.Kawashita 2004年5月







1995

扇町ミュージアムスクエア10周年イベントを構成していた遊気舎座長・後藤と、
ドナインシタイン博士として招かれOMSの邪魔な柱に文句を言いに来ていた私は
その会場で初めて顔を合わせた。
後藤は、私がTVでナレーションネタのコントをやっているところを見ただけだった。
私は後藤の顔も知らず、あの鼻の長い気持ち悪いキャラクターを描く奴、としか思っていなかった。
私たちはそれまでお互いの舞台を見たことがなかった。
実はこれ以前、後藤はTVで見ただけの私に遊気舎公演「ピロシキ」への出演を依頼していたが
私は断っていた。
たしか表向きは「忙しいから」とかだったが、「なんか気持ち悪いから」だった。
このときもなるべく顔を合わせないようにしていたが、
出演者はすべて同じ楽屋(舞台裏)だったので、私たちは出会った。
後藤が初対面の人に必ずやる「クイズ」のおかげで、私の後藤に対する印象は
「気持ち悪い人」から「ひげのクイズおじさん」に変わった。
それで次回の遊気舎公演「びろ〜ん」への私の出演が決まった。




1996

1月の「びろ〜ん」は私にとって初めての遊気舎だった。
客として観たことのない劇団に客演するのも初めてだった。
顔合わせで行った森ノ宮の何とかという店には楠見薫や久保田浩たちもいた。
楠見は髪型をユマサーマンのようにしていたのですぐ覚えたが、
久保田はなかなか顔と名前が一致しなかった。
彼を認識したのは稽古の時「変な芝居をするやつ」としてだった。
本番になっても彼の芝居は変なままで、衣裳も変だった。
「羽曳野の伊藤」と呼ばれるキャラクターで大変人気があると後で知ったが
私は彼がいつまでたってもセリフを間違えるのがおかしくて死ぬほど笑った。
芝居は「密室劇」と名乗りながら舞台が波止場だったり車で道を走っていたりバス停だったり
むちゃくちゃな設定だった。
イ・パクサの曲がすべてをどうでもよくしていた。





むちゃくちゃでどうでもいいといえば3月の「ボンジャリー」だ。
扇町コントジャンボリーという、2〜30のコント台本を何人かの演出家にわりふった公演で
演出家ごとにAプロBプロと別れていた。
後藤と後藤が適当に選んだ出演者たちは割り当てられた台本に不服で、
いくつかを勝手にさしかえてしまった。
だいいちその出演者自体、直前まで後藤が決定できず発表もされていなかった。
当日観客が舞台上に見たのは
後藤ひろひと・川下大洋・三上市朗・久保田浩、そして土田英生だった。
私は長年劇団というものから離れていて「集団」に身を置くのを嫌っていたが
この5人でなら劇団をつくりたいと思った。
後藤は遊気舎をやめると宣言していたので脈はあった。
しかし三上はM.O.P.をやめそうでやめないし
土田は自分の劇団MONOがある。
久保田に至ってはあろうことか遊気舎の座長をひきついでしまった。
そこで「ツッチーファイブ」という劇団名だけができた。座長は土田英生だ。
この「ボンジャリー」は観客にルーレットを回してもらい、出た演目をやるというものだった。
やらせなしで本当にそれをやった。
だから練習したのにやれなかったコントもあった。





私が三上市朗を初めてみたのはやはり扇町ミュージアムスクエア。
劇団M.O.P.の「HAPPY MAN 2」という芝居だった。
ロンゲの金髪で、わがままでコワモテで男色の殿様をやっていた。
すごいインパクトだった。このころのM.O.P.にはとてつもない勢いがあった。
その後三上に私の芝居バンドやドナインシタイン博士の世紀末学会に客演してもらったり
私がM.O.P.に客演したりするうち「いつか一緒にコント公演をやろう」ということになった。
「ボンジャリー」ではずみがつき、それは実現した。
7月の田王presents「Citizens of Planet Maurice」だ。
トレッキー三上の「艦長になりたい」という夢はこのとき実現した。
出演者はみな宇宙船エンタープライズ号の乗組員。
コントが進行するうちになぜか全員黒人になっていくというものだった。
だらだらと進行する舞台だったが、後藤の本の面白さは光っていた。
このとき三上が「リリパットアーミーに面白い男がいる」と呼んできたのが
山内圭哉だった。
山内は「舞台上に置かれた電話だけを使い、千秋楽までに宇宙に行く」
というミッションを自らに課し、種子島宇宙センターやNASAに電話した。
宇宙には行けなかったが、このとき初めて私&後藤と3人で共演した山内は、
5年を経て Piper のメンバーになる。
ところで「田王」は「川下」と「三上」の字を合体させた名前。




1997

さて1997年は私も後藤も忙しい年だった。
3月には後藤が本を書いたG2プロデュース「12人の入りたいやつら」に二人とも出演した。
G2という男はすごい才能の持ち主だ。かの「売名行為」のビジュアルセンスには感服した。
そのときだけはOMSがおしゃれな空間に変わった。
何度かMOTHERに客演するうち彼の本当の才能は「実行力」だとわかった。
会社員として東京で働きながら毎週大阪に通い芝居をつくる体力には驚いた。
G2が後藤と初めて組んだのがこの芝居だった。
後藤は本当は列車ものがやりたかったが、資金が足りず後回しになった。
そのかわり、ハイテクビルに入りたいが入れず生命の危機にまで見舞われる12人の話を書いた。
見ものは羽曳野の伊藤とカーク艦長のピーボン対決だった。





この公演の最も大きな成果は、舞台裏にあった。
Piperはこのとき結成されたのだ。




5月のZUTISTEプロデュース「荒波次郎」
三島嘉崇という男は今どこでどうしているか知らないが私たちはずいぶん買っている。
どうやら後藤にはこのZUTISTEという場所でないと書けない世界があるようだ。
私自身もこのときの自分の役が気に入っているし、ウサギの一本耳をつけた男たちが受ける
自己解放セミナーは、本番中やりながら笑ってしかたなかった。





7月の「じゃばら」
私はエレファントマンを発見し彼を虐待したとされるトム・ノーマンという興行師を演じた。
遊気舎の過去もっとも評判の高いこの芝居に出るのは、やりがいがあって楽しかった。
楠見薫という女優のすごさを目の当たりにもした。
彼女はノーマンの元からエレファントマンを「救い出し」
より大きな「見せ物」の場に彼を連れ出す医師トリーブスの重厚な演技と、
踊りながら客席を翻弄する少年「昆虫くん」のバカキャラを他に類を見ない落差で両立させていた。





昆虫くんは10月の
大田王presents「Bugs in the Black Box」
でも炸裂した。
「大田王」とは「田王」に「大王」が合体したものだ。
「田王」が楽しかったらしく、後藤は自分をプロデュースチームに入れて欲しいと言ってきた。
なによりだったのは「ボンジャリー」以来やっと「ツッチーファイブ」が再結成できたことだ。
加えて楠見薫、木下政治、大塚ムネト。
男達の気合いが伴奏となる「格闘家たちによるStand by Me」。
この公演の記録は上のリンクに詳しく残してある。





1998

4月。Piper は吉本興業に所属した。
その経緯は「What's Piper」のページに詳しく載せてある。





Piper第一回公演「Piper」は、これまでの芝居とずいぶん違っていた。
もちろん野外公演であること、
プロデュースが吉本であること、そして
役者ではない、ダンサーやシンガーが大勢出演すること。
そして実際にその場所で上演してみると、一番の違いはその「空気」だった。
あと数ヶ月で取り壊される、数十年の歴史をもつ野球場。
その場所に立つだけで、観客も役者もスタッフも懐かしいような優しい気持ちになった。
その空気を「霊気」と呼ぶ人や「神秘エネルギー」と呼ぶ人もいるかも知れない。
しかしあれは残り香のような、まさしく「空気」そのものだった気がする。





後藤念願の「列車もの」がついに実現した。G2プロデュース「止まれない12人」
当初は劇場にレールを敷いて実際に列車を動かす案まであった。
残念ながら実現しなかったが、それでもあのセットはすごかった。
舞台を挟んで両側に、それも至近距離に客席があった。
列車のボディの表側・裏側、そしてその境目の壁の断面までが観客から間近に見えてしまう。
いわゆる「カキワリ」にはできない。「裏」が存在していないのだから。
この列車には先頭に展望デッキがあり、その上が運転席だった。
運転席には常時二人の役者が乗っており、クライマックスのトンネル内での
暴走シーンには大揺れに揺れる。それに耐えられるだけの強度が必要だった。
というわけでこの列車そのものに大きく予算が使われた。
「スペースゼロ10周年記念」まで待たないと実現しなかったのもうなづける。





1999

1999年は「止まれない12人」の大阪公演で明けた。
これにつづく2月のスライムピープルプロデュース「恐怖!スライムピープル襲来」では、
後藤はサモアリナンズの倉森氏に責任をかぶせることで息抜きができた。
(本人はそんなことを言っている)
が、私は慣れないアドリブの世界についていくのがやっとだったのか
公演終了後、生まれて初めての40度の熱を出して寝込んだ。
しかしこの公演で世の中には「飛び道具」の名にふさわしい人が大勢いることを知った。





5月。ドナインシタイン博士の世紀末学会#6「ハルマゲドンとかみなりどん」を開催。
初めて後藤が世紀末学会に参加した。
1999年7の月を生き延びるための仮免罪符を発行した。





9月。大田王presents「Mission Impatient」。大田王としては二回目の公演。4日間すべて昼夜2回公演。
三上市朗もまだ大阪に住み、ご近所だけで短時間に楽しくつくるコント公演がやれた。
濃密なメンバーだった。
後藤をメインに据えてダンス。川下は生ナレーション芸に挑戦。
もちろん例の格闘技アカペラも、「もういい」と言われるまでやった。
果たして次回はあるか。観客もだろうが我々が楽しみだ。




11月。Piper第二回公演「ニコラス・マクファーソン〜奴らは彼を守れるか+奴らは彼を殺せるか」
後藤は「世界で一番共演してみたい男」として、人間風車ビル・ロビンソンの招聘に成功。
それをとりまく役者陣にも忘れられないメンバーを揃えることができた。
第一回公演のオープンで大勢が入り乱れるステージとは全く逆に、二人きりの密室を描いた。
全く同じような二人しかいない密室がもう一つあり、その二カ所が舞台上で交錯するという演劇的な手法も用いた。




12月。石原正一ショーに後藤・川下二人で出演。ガチャピンとムックを演じる。





2000

20世紀最後のこの年だが、Piperとしての活動は皆無。
7月に川下が「最後の」世紀末学会を開催し、後藤が一日だけ日替わりゲストで出演したのが唯一の接点だった。

後藤は遊気舎最後の長編書き下ろし「世界で一番速い女」に参加、またPARCOプロデュースによる「人間風車」に出演。






2001

21世紀となり、まずは後藤が主宰する第一回「王立劇場」。
吉本にいるメリットを充分に生かしし、
baseよしもとというすばらしい劇場を使い、豪華客演陣を迎えた。
後藤が「小林作造」名義で数本のコントを書き下ろした。




4月となり、ここ数年ともに活動することの多かった山内圭哉がPiperに加入。3人になった。

後藤と山内は4月の転球劇場「JACK」に出演。
個性のきつい出演者たちと渡り合ったが、もちろん負けることなくぞんぶんに異彩を放っていた。




7月、川下大洋劇「エンゼルス」。
私の作・演出。謎の過去を持つ探偵・川下と、絶大な人気の若き宗教家・山内。
2人の恐ろしい過去が暴かれる、けっこう暗い話。人間の闇の本性と「記憶」。




8月、早くも第二回の王立劇場「サム古賀ショー」。
Piper 3人に加え、石丸謙二郎・内場勝則・板尾創路・中川家が出演。
ウソだらけのニッポンをネタに人気を博す日系人サム古賀に、
大王後藤ひろひとが「これが日本のコントだ!」と番組を制作。
よみうりTVで放映した。
baseよしもとでの公演はあくまでそのための「素材撮り」だった。
このときのビデオは発売されず、放映された番組を視聴者が自分で録画して入れるためのケースだけが販売された。




9月、「やすらぎの家」。
3人になって初めての芝居公演。
劇場側のプロデュースでもあり、 Piper と誰か大物とのコラボレーションという図式から
「PipeLine」と名付けられたシリーズ。
第1回の相手は超大物・間寛平。
彼が管理人をつとめる収容施設・やすらぎの家で暮らすホームレス、後藤と山内。
山内が覚醒剤の売人であることをつきとめ潜入操作する刑事、川下。
色んな意味でPiperと寛平氏の対決だった。




11月、G2プロデュース「天才脚本家」。
後藤ひろひと作。Piperは3人とも出演。
稽古直前にNYのテロ事件もあってモチベーションを維持するだけでも大変だったが
自ら「天才脚本家」と名付けただけあって、後藤渾身の力作。
国家が都合の悪い事件をもみ消すために情報を操作しているという社会派のドラマ。
実話でないとは誰にも言えない。
おそらく映画やテレビでは絶対にありえない、舞台ならではの過激な内容。
そして実は私にとってはある記念すべき公演だった。
腹筋善之介と初めて共演したのだ。
これまでお互い見知ってはいたが、ちゃんと話をしたこともろくになかった。
それが3年もたたないうちに同じ組織のメンバーとなるとは。






2002






1月 王立劇場 #3「王立寄席」。
吉本NGK向かいにあるワッハ上方・ワッハホール。
我々にとっては結構気軽に使える小屋なのだが、いかんせん当時はまだ壁や舞台上部に
いかにも寄席小屋という風情のちょうちんが固定式で取り付けてあった。
そのためなかなか今のように芝居に使うのははばかられていたのだが、
それを後藤は逆手に取り、寄席をやってしまった。
小劇場の役者たちの中では腕に覚えのあるものたち、
そして芸人のカテゴリーには入るが決して寄席芸人ではない板尾創路、
さらに後藤の手によって三上艦長のコスプレ落語という新分野も開拓された。
どれも見応えのあるものばかりで、特に山内と腹筋による「象印ヒントピント」の漫才は
見る者皆「M1に出ろ」と称賛した。
だが私の心を一番打ったのは、出演者最年長にしてもっとも下っ端を演じてくれた
お茶子役のテントさんだった。





4〜5月 PARCO・RICOMOTION Presents「ダブリンの鐘つきカビ人間」
実は私が遊気舎を見たこともないまま後藤に呼ばれて「びろーん」に出演したあと、
初めて遊気舎の舞台を観客として観たのがアイホールでのこの芝居の初演だった。
遊気舎ならではの客いじりやゴミのような定番キャラクターたちに彩られた舞台は
このときの洗練された美しいビジュアルによるものとはくらべようがない。
どちらも観客として見た私としては、やはり初演を見たときのインパクトを大切にしてしまう。
だが物語の世界に引き込む力は今回の方が断然大きかった気がする。
まあ遊気舎ではむしろ現実に引き戻す部分が多かったのかも知れない。





7月 Piper#3 「ホセ中村とギャッフンボーイズ※都合によりホセ中村は出演いたしません」。
元来ロックで育った私と後藤。せっかくミュージシャン山内が加入し、バンドものをやらない手はない。
というわけでPiper3年ぶりの本公演は当然のようにバンドの物語だ。
すでにボーカリストとして活動している後藤。
以前「芝居バンド・DUMDUM団」でベースを弾いていた私。
そしていつメジャーデビューしてもおかしくない JIZZ MONKS のギタリスト・ボーカリストにして
ソングライターの山内。
ドラムにはDUMDUM団でドラムを叩いていた元そとばこまちの八十田勇一に来てもらった。
ゴスペルシンガー・コング桑田には歌わない役どころという贅沢なキャスティング。 さらに、
この公演のころからぐいぐいメジャーになった大西ユカリ、
かつて流行語大賞をとり、今は女優の道を突き進む西本はるか、
現役プロレスラーにしてロックンローラー、リッキーフジ、
幻の高級アイドル武内由紀子といったメンバーが我々の芝居に参戦してくれた。
そしていつものメンバーではあるが楠見薫が石丸謙二郎とのコンビでみせてくれた
赤目大明神明子!
私のフェイバリットくすみが増えた公演だった。




8月 王立劇場 #4「荒波次郎」。
我々にとっては熱い夏だった。
ギャッフンボーイズの熱が冷めない8月、続けて「荒波次郎」の公演だ。
当初 Piper の本公演としてやることも検討されたが王立劇場として舞台に乗ることになった。
もと宝塚の女役トップ・風花舞は何と演歌歌手の役だった。
実はこのとき彼女は脚を痛めて踊れず、名前を本名の宮崎優子にしていた。
後藤と私と福田転球は、初演のときと同じ役。
転球はレオンのゲイリーオールドマンを彷彿とさせる演技でほんとにかっこよかったが、
私は彼と共演したのがその初演のときで、以来彼は基本的にかっこいいキャラだと思っている。
楠見薫の推薦で、スタジオライフの曽世海児も来た。
少年愛の世界へいざなわれるのではとみんなビビっていたが、ノーマルで楽しい男だった。
後藤が以前吉本の若手たちと組んで芝居したときの出演者、
The Plan 9(後藤が命名)の鈴木つかさも来た。
そして実はこれが現在(2004.5)の Piper 5人が初めて顔を揃えた公演だった。
以前「人間風車」に出演した【飲むと自分と漁師の区別がつかなくなる男】竹下宏太郎に、
後藤が「ぴったりの本を書いたことがある」からと実現させたのだった。
昼は漁師で夜は殺し屋。
竹下宏太郎はふだんの彼をモデルにしたかのような寡黙な海の男を好演した。
しかし公演実現のためにはもうひとつ、【不死身のサイボーグと化したさる国の首相】
という難役をこなせる男が必要だった。
街を破壊し目から光線を出すこの難役をこなせる男と言えば
パワーマイムの創始者・腹筋善之介しかいない。
彼は後藤のリクエストに応え、
芝居のラストで宮崎優子が着物に着替えるための5分間を見事にパワーマイムの独演で観客を釘付けにした。
その間ずっと死んでいる設定の福田転球は途中で起きあがりビールを飲んでいた。
というわけで我々5人の道はここで一つになり、この後また離れたりくっついたりしながら2年がたち、
今のメンバーで Piper を名乗ることになった。







HOME PAGEへ